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これは転載記事「歴史解釈について」へのコメントです。

この記事において日本近代史の解釈が割れているということに対しての考察が述べられているわけだが、
筆者は、それを
1-新自由主義史観を標榜する人々→資料史観をストイックに採用する
2-糾弾派→傍証の積み重ねで、充分に証明できるとする
と大別する。そして、双方の主張の様な単純な判断では完全に説明することは不可能である、という。

そして、新自由主義史観と言う、自己欺瞞の解釈を生んだとも言える、とし、
資料史観を否定しないが、刑事裁判の様な狭義に於ける史観ではなく、傍証と証言による推察を徹底すべきである。と結論づけている。

その通りでしょう。
ただワタシが見る所、双方ともが1,2の方法論を折衷して証明しようとしている。
そして、気になったのが、傍証についてだった。

傍証の扱い方が、ご都合主義的ではないのか、


学問の方法と倫理 五 論証と傍証 京都市 古賀達也

http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou41/koga41.html

傍証とは、それ自体では証明力を有せず、ある仮説が論証により成立した時にのみ、論証の成果にして対応物としての位置づけが可能となるものだ。その上で、優れた傍証は歴史の真実を生き生きと表現する役割を果たし、学問的価値を持つこととなるのである。

 逆に傍証のみをいくら積み重ねても肝心の論証が成立していなければ真の学問的価値を持ち得ないし、それによって論証を成立させることもできないのである(もしできるとすれば、それは傍証ではなく、証明力を有する「直接証拠」である)。


上記サイトよりの引用にもある、傍証のみをいくら積み重ねても肝心の論証が成立していなければ真の学問的価値を持ち得ない、を過去の事実として証明されたとは思えない、とすれば、それがワタシの考えです。

傍証は確かに、直接証拠をより正確に理解する上で、必要だとは思う。
ただそれには明確な定義付けが必要なのではないかとも思われる。

それは、その時代に既に存在したモノ、という。
社会的な背景、国際情勢、世情、民心、あげればきりがないが、

すべて、時代とともに変化するモノで、後世にいたって記憶により述べられたモノは述べられた時点における、社会のフィルターから逃れられないと思われるからです。



歴史に< If >は不毛だといいます。
その通りだと思う、ワタシにとって歴史とは現代をよりよく生きるための指標となるべきモノです。
歴史から学ばないモノに未来はない、学ぶためには正確に知る必要がある、恣意的に歪めた歴史にどのような価値が見いだせるのか、それは欺瞞に過ぎない、とも思うわけです。


ワタシがブログを始めた頃、首相の靖国参拝で世間が騒がしかった時季でもあり、日本の戦争責任が問われていた時季でもあった。
それまで、いたってミーハーに生きてきたワタシも、少しは考えなくてはならないような気になって、関連する記事を集め始めたのです。
戦後60年が過ぎ、昔習ったはずの歴史知識も、すり切れて、のんべんだらりと生きてきたツケが回ってきた、、

日本の戦争責任、と言われても、具体的にはどういうモノかわからない、
戦後に生まれたものとしては、理不尽にさえ感じるこの言葉、
自分の中にどう落としたらよいのか、いまだに模索しているありさまです。

そして、日本の、と一括りに言っている、この戦争責任、国家としてのか、民族としてのか、
それによってさえ、その採る姿は違ってくると思う。

そんなことに悩むのも、やはりワタシが日本人だからで、良くも悪くも、この日本という国体から逃れられないからなのだろう。
ただ、この意識は、愛国心などと言うものではなく、ワタシにとって日本という国体は空気のようなモノだからだと、言うしかない。
空気は見えない、しかし無ければ死んでしまう。誰かが汚したり奪ったりすれば
それは、ワタシの生存を脅かす、故に怒りが湧く。反撃をしたくなる。

これを愛国心といえるだろうか?
言えるとすれば、愛国心とはワタシにとってエゴそのものですヮ。

歴史解釈について

 日本に於ける近代史感について、昨今、その解釈方法に間違いがある様に感じている。それは、ストイックに資料史観を狭義に当て嵌めているからに他ならない。

近代史に場合、我が国に限らず、多くの資料が残されており、その資料を下に歴史解釈をすることに、何ら問題があるわけではないし、否定するつもりもない。しかし、現代日本に於いてですら、民間企業の場合、重大な案件や歴史的で記念碑的な事業についての資料は、残しているであろうが、その他の詳細な資料については、恐らく10年を区切りに廃棄処分しているのが現実であることを考えれば、万が一社史などの編纂をする場合、その詳細な部分については、その時代を生きた社員や役員などの記憶と傍証の積み重ねで推察して解釈することになろうと思う。

本来、歴史解釈は、古くなればなるほど資料が消失していたり散逸している場合が多い、この少ない資料から、歴史学者たちが当時の社会性や時代背景から推察して、その推論が新資料が見つかるまでの歴史観となる事に疑義はあるまい。

昭和10年当時から終戦までの謂わば、日本が軍国主義と呼ばれた時代の解釈について、鑑みる時、狭義に於ける資料史観を論じる人が増加している様に感じる。

従軍慰安婦の募集に於いて、国家的な関与があったか、あるいは強制的な徴用は起こっていたのか。
南京事件について、軍隊として虐殺行為を命じたのか、あるいは全く捏造的な虚偽であるのか。
日中戦争は、時代の必然であったのか、あるいは日本の暴挙であるのか。
太平洋戦争は、日本の暴走の結果なのか、米国の謀略による必然的な戦いであったのか。

挙げればきりがないが、この全てに於いて、新自由主義史観を標榜する人々は、公文書などの公式な資料がない事で、従軍慰安婦、南京事件は無かったとし、戦争の責任については、時代の必然であり米国の謀略に乗せられた被害者である日本と言う解釈を基本としている。

逆に糾弾派と呼ばれる人々の主張は、従軍慰安婦の強制連行はあったとし、南京虐殺も、その被害者数を除けばあったとし、日中戦争は軍部の暴走を止められなかった暴挙と断じ、太平洋戦争に至っては、その日中戦争を拡大した結果、米国を含める欧州などから孤立したことによる政治的な判断ミスとしている。

無論、歴史と言うものは、須く複雑で双方の主張の様な単純な判断では完全に説明することは不可能であるのだが、これほど、この昭和10年から終戦までの解釈が割れる歴史と言うものは、事、日本史に於いて存在しない。

何故、この様な真っ向から反する解釈が罷り通るのであろうか? そこには資料史観をストイックに採用する新自由主義史観と傍証の積み重ねで、充分に証明できるとする糾弾派の姿が見て取れるのである。

従軍慰安婦の強制連行について鑑みれば、少なくともその制度を設け、管理したのは国家であることは、それこそ公文書から証明されている。問題は強制連行や騙して連行されたと言う事が事実であるのか、あるいは国家関与はなかったが、現場に於いて行き過ぎがあり、ある意味管理責任だけが問われるのか。それとも全く、その様な事実の存在は無く、彼女たちは、その全てに於いて娼婦と言う事を知った上で売られて来たのか。

ここに幾つかの傍証がある。一つは、少なくとも内務省(警察)の正式な免許を持った女衒は、軍管理の
慰安施設で働く慰安婦の募集はしていないと言う事実がある。この従軍慰安婦の募集を行ったのは、陸海軍の発行した女衒の免許を与えられた特殊な者達によって募集された事は、徳島県警記録や、内務省の記録に存在している。さらに当時の法律によると、売買された娼婦は日本領土から出て営業する事が禁止されている。また満18歳以下の女性の売買は厳に禁止されていた。

しかし、軍の慰安所には、この年齢に満たない少女が売られていた事実も、当時の軍医日誌などにも散見している。つまり国内法を変えずに従軍慰安婦についてのみ、外務省は旅券を発行し、その出国を認め、更には、年齢制限については、本国(日本国内)だけを限定的に縮小解釈することで朝鮮半島や台湾に於いては、軍の募集に関して年齢制限を厳格には制限していなかったと考えられる。

つまり、朝鮮半島や台湾については、当時は日本国内であり、日本国内法によって日本国民であったと言う事を、主張する人がいるが、現にこの様な差別的な法解釈が存在していたと言う事を認めねばならない。

また、反日感情が強い韓国人などの場合、その経験者の証言が偏っている可能性を否定できない事を、主張して、それらの証言を否定しているが、現実にオーストラリア人やオランダ人、などの被害証言も少なからず存在していることを、忘れてはならない。彼女たちは、殆ど強制的に拉致され慰安所に送られたと証言している。

また、傍証であるが、多額の前借金をもらっているのだから、当然、綺麗事の仕事ではない事くらい、想定できたと言う主張もまかり通っているが、昭和16年を境に朝鮮半島で募集された慰安婦に対する前借金について、それまでは200円から300円の相場が、玄人や志願して慰安婦になった者を除くと、
30円から50円にまで減額されている事実も彼女たちの実家などから発見されているし、日本に残された数少ない資料にも残されている。

つまり一般労働者の1か月分の給与適度の前借で娼婦として保護者が売り渡したと言う事になる。しかし当時、釜山などの女郎屋に女衒を通して正式に売った場合、当時の記録を見れば200円から500円と言う相場が残されている。つまり女郎として身売りするのであれば、30円しか前借のない軍を頼るより、むしろ民間の女郎として身売りした方が遙かに条件が良いのである。

このことから、彼女たちの証言にある様に、高級将校の身の回りの世話、つまり女中さんとしての年季奉公と言う虚偽の募集であった可能性の方が高いのではないかと判断できるのである。

また、現金でその対価を支払われたのは、昭和16年当時までで、以降は軍票であった。軍票は現金と同様と言うが、国家補償がなく、戦後紙屑同様となっている。少なくとも現金で支払われていれば、日本が負けたと言っても滅んだわけではなく、将来に於いて換金の可能性があったと言えるが、軍票は戦後紙屑と化している。

これらの傍証を積み重ねた場合、その数は少数であった可能性は否定しないが、強制あるいは騙されて連行された少女も少なからず存在していたと判断しても不合理ではない。

南京虐殺についても同様の事が見られる。南京事件が作られた虚偽の歴史であると断じる人の主張の場合、軍隊の上層部は、その事実を知らなかった、あるいは民間人に対する攻撃などを厳に禁止する旨の
命令が通達されていたなどを証拠としている。しかし、糾弾派の場合、ジョンラーベの日記を含めて、当時、この作戦に従軍した兵士や記者の証言から事実としている。

ドイツ人ジョン、ラーベについては、その人物評が二分している為に、その残した記録や日記を否とする意見も多いが、欧米では一級品の歴史資料として通っているのも事実である。また日本人兵士の証言についても、確かに近視眼的な視野の狭い証言である事は否定しないが、少なくとも彼らの目には、虐殺と映った事実が存在していた事まで否定できないであろう。

さらに、南京市内や郊外には多くの難民の集落があり、この集落に制服を脱ぎ捨てた国民党軍の兵士や更衣兵などが混じっていたために、その集落のせん滅を命じたと言う命令書なども残されている。この命令書は、NHKの特番でその存在が明らかとなっている。その集落に対する攻撃に従軍した元兵士の証言では、女子供の区別なく、全滅させたと述べている。つまりこれを虐殺と言わずに何と言うのであろうか?

中国が主張する、その虐殺による犠牲者30万人から60万人は大げさだとしても、少なくとも数万人程度の虐殺を疑わせる事実があったと考えた方が公正であろうと思う。

また、スパイ容疑や更衣兵と疑われた男の場合、殆ど調べもせずに処刑していると言う事実も、元兵士の証言から明らかと言える。この場合疑いだけでの処置である。

つまり、当時の日本軍は、無理に無理を重ねて中国戦争を戦っていたこともあって、甚大な被害による被害妄想がこの暴挙を促したと言えるのではないか。その為に上層部が意図したこととは別に、現場では、ある種のパニック障害に陥った事で、少しでも疑いがあれば有無を言わさずに処刑、あるいは殲滅したと考えても矛盾しないのである。

これも傍証の積み重ねで充分に判断可能と思われる。歴史判断の場合、刑事裁判の様な疑わしきは、罰せずと言う論法では、その判断ができない事が多いのが事実で、民事裁判の様な傍証の積み重ねで充分に推論可能であり、新しい資料が発見されるまで、その推論を是とする事が歴史判断であろう。

また、日中戦争は歴史の必然であったとする理解に対しては、小生は否とする立場である。関東軍は、この戦争は、1年で決着すると論じて始めながら、現実には、昭和16年までの4年間に及んでも、その終結を計画できないと言う体たらくであった。満州立国からの我が国は、自国の国益のみを八紘一宇などのお題目を立てて、白人によるアジア支配からの解放と綺麗事を主張しながら、その根底には、陸軍の強烈なソ連に対する恐怖感がその事実である。

大義名分を重んじた日本軍に於いて、その詭弁が八紘一宇であり、アジア解放であったことは、この計画そのものが明治時代から面々と作戦されていた事実で明らかである。

太平洋戦争についても同様で、日米開戦は、やはり明治時代から、日本の仮想敵国は米国であり、陸海軍とも、米国と戦うを想定して軍を養って来た結果が、安易な宣戦布告となったと言える。

為政者の責任として。戦争を計画するれば、それを終わらせるを想定しておかなければならないのだが、
現実に近衛首相にしても、東条英機にしても終戦を計画せずに戦争を始めている。このことだけでも
国民意に対する裏切り行為と言える。

つまり、軍部の独走を許した政府の在り方も、決して必然ではなく、時代に流された無計画な為政者の姿がそこに存在しているのである。

この全てを反省せずに60年間、東京裁判のみを、その総括にした結果が、新自由主義史観と言う、自己欺瞞の解釈を生んだとも言えるのである。

東京裁判を否定するのであれば、この近代史を総括する必要があるのだが、それらの生き証人は既に
高齢であり、況や責任者であった者などは既に、鬼籍入っているのが事実である。遅き失したと言える。

資料史観を否定しないが、刑事裁判の様な狭義に於ける史観ではなく、傍証と証言による推察を徹底すべきである。

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「30万人虐殺」根拠ない 米出版社が論破本 南京事件 SankeiWeb2007/03/10 23:34
http://www.sankei.co.jp/kokusai/usa/070310/usa070310011.htm


 【ワシントン=古森義久】南京事件に関して中国当局の「30万人虐殺」などという主張に根拠がないことを実証的に報告した英文の書が米国の権威ある学術書出版社からこの2月に刊行された。南京事件についての日本側のこうした見解が米国側で単行本として出版される前例はなく、米側の南京事件の研究や議論にも重要な一石を投じることが期待される。

 同書は立命館大学文学部教授で中国近現代史を専門とする北村稔氏による「南京の政治学=偏らない調査」。米国の「ユニバーシティー・プレス・オブ・アメリカ」(UPA)社から出版された。日本ではすでに中国史研究で広く知られる北村氏は南京事件について国民党などの新たな資料多数を基に「『南京事件』の探究」(文春新書)を2001年に出版したが、今回の米国での出版は同新書を一部、書き直し、加筆して日本在住の長い米国人歴史研究者のハル・ゴールド氏が英訳した。

 英語版の内容は南京や台湾で発掘した1次史料を基礎に、日本軍による中国軍捕虜のかなりの規模の処刑があったことを認めながらも、「日本軍が計画的に中国民間人など30万人以上を大量虐殺したという中国側の主張には根拠がない」として、中国の主張を論破する趣旨となっている。

 南京事件について日本人による著作が米国の出版社で刊行された例としては元朝日新聞記者の本多勝一氏の書の英訳があるだけで、他の日本人の英語の書はみな日本の組織による出版や米国側での事実上の自費出版だという。本多氏の書は中国当局の主張と共通部分が多く、その中国の主張を否定した米側での日本人の書の一般出版は北村氏が初めてだとされる。

 北村教授の英語の書は日本側の主張の数少ない英文資料として議論の正常化に寄与することが期待されている。




「『南京事件』の探究」(文春新書)2001年出版
本書は、南京による大虐殺が「あった」のか「なかった」のかを性急に議論するのではなく、「南京で大虐殺があった」という認識がどのような経緯で出現したかを順序だてて確認したものである。南京事件が初めて世界に発信されたのはイギリスの日刊紙「マンチェスター・ガーディアン」の特派員・ティンバーリーによる書物だが、それは実際には中国国民党中央宣伝部の意を体して発行されたものであり、巧妙な戦時外交戦略であった。著者は、徹底した史料探索によってその事実を確認し、さらに南京事件の真実に迫っている。
当時、南京において日本軍による相当数の捕虜、あるいは民間人の殺害行為が行われたことは覆い隠せないことであるが、「30万人大虐殺」はすでに戦争中から準備されていた戦犯裁判のシナリオに沿って、日本の戦争犯罪を告発するためのハイライトとして作り上げられたといわざるを得ない、と著者は結論づけている。もちろん、だからといって日本軍の行為が許されるべきものではないが、ひたすら謝罪を続けるのみが「戦争責任」の取り方であるかのような戦後の日本外交のあり方を見るとき、歴史に対する正確な事実認識を持ち、それによるきちんとした申し開きをすることは国際社会で生きていく上での必要最小条件であるとの思いを強くせざるを得ない。(杉本治人)

出版社/著者からの内容紹介
まず結論ありの"神学論争"をやめ、大虐殺があったという「認識」がどのように出現したのかを、歴史学の基本に戻って分析検証する

30万人虐殺説成立過程のイデオロギー批判, 2006/2/2
レビュアー: モチヅキ (名古屋市)
 本書は1948年生まれの法学博士号を持つ中国近現代史研究者が、「南京事件」研究にまつわる「政治性」から一定の距離を保つために、「南京での大虐殺」があったか無かったかを性急に議論せず、「南京で大虐殺があった」という認識の形成過程を解明しようとして(=イデオロギー批判ないしイデオロギー暴露)、『東亜』連載論文を元に2001年に刊行した新書本である。本書の特徴としては、第一に一見中立的だが実際には「虐殺派」批判に重点があるように思われること(例えば14頁で「虐殺派」自体が十数万虐殺を主張していることと20頁の「虐殺派」が30万人虐殺説を擁護しているかのような危惧との矛盾、「虐殺肯定願望」の指摘等々)、第二に証拠資料に対立する日本人側資料は援用しない(22頁、これも虐殺派への危惧の為)ため、中国側文献の政治性のみが問題とされること、第三に「常識」という曖昧な基準の強調(22頁、軍国主義批判という「極端な」捉え方の忌避に帰結、106頁)、第四に南京事件当時の記録では大虐殺という認識は見られず、国民党中央宣伝部顧問ティンパーリーが30万人虐殺説の出所となったことの解明、第五に他都市より南京の戦争被害が深刻に扱われていることを認めつつもその意義を過小評価する傾向(93頁)、第六に著者にとっての南京事件の「文明史的意義」は、現在にも残る日本社会の成り行き任せの説明責任の欠如であること(なお日本軍の構造的な欠陥については「虐殺派」も論じているはずだが)、第七に戦中・占領下の農村部の被害に関しての検討が170頁以降で、占領下南京市内の検討に比べてそっけなく扱われていること、第八に遺体処理の方法として埋葬数だけが検討されていること、第九に「虐殺派」の誤訳の興味深い指摘、第十に愛国虚言という「近代中国人の心性」が「本書の意図にそぐわぬ」にもかかわらずわざわざ指摘されていること等である。


 この種の論を張ると、罵詈雑言、罵倒、嫌がらせがコメントに列挙されるので敢えて避けてきたのだが、現実に今なお、屈折した自由主義史観が罷り通っている事に憤ったので、取り上げてみる。

従軍慰安婦問題

 そもそも、「従軍慰安婦」と言う言葉は、戦後に作られた造語と考えている人が多いのにも
驚かされている。小生の亡父は、帝国陸軍、少佐として戦後を向かえ戦犯として巣鴨に拘留経験の
ある人であったが、週刊実話が、最後の性戦従軍慰安婦なる記事を掲載したのは昭和43年で、これが
最初であると言われている。昭和43年と言えば、小生が小学校6年生の時に当たる。

父の所属する戦友会の方々と始めてお会いしたのは、昭和40年が最初で、この時に既に
「従軍慰安婦」と言う言葉を彼らは使用していた事実があり、現実には正式な呼称では
なかったにしろ、その呼称は戦前からあったと思われる。

況や、朝日新聞が昭和50年代にキャンペーンを張った時に造語したなどと言う主張は完璧に
間違いである。

更に、今年78歳になる母が、戦時中に女子挺身隊に志願を希望した折、亡祖父(海軍工廠、幹部)
に「従軍慰安婦の様な真似をするな。」とその志願を取りやめさせられたと言う記憶もあり、戦前から
一種の呼称として使用されていた可能性が大きいと判断される。

また、慰安婦の員数についても、自由主義史観であると、数万人規模を逸脱しないと判断している。
根拠が、当時、彼女達を前線基地まで送った記録が存在しないと言う事だが、それも間違っている。

まず員数については、恐らく10万人〜20万人程度になっていた可能性が大きい、この根拠は
昭和12年、日中戦争の拡大に伴って、陸軍参謀本部付けの計画書に20万以上の慰安婦が必要と
書かれている。この計画に基づいて送られたと考えるほうが自然であり、この員数からそう遠くない
慰安婦を送ったと思われる。

また、どうやって送られたか?についても陸軍の資料に散見されている。女子挺身隊や従軍看護婦など
の場合、陸軍の正規部隊付けとして、その行動計画書に氏名、年、出生地の明記があるが、慰安婦の名が
その記録にないを理由に軍が、その輸送を組織的に行わなかったとは言えない。それは、彼女たちが
物資として、兵站部が扱ったからである。

その兵器や牛馬と同様に兵站記録には、うめ、たけ、はな、などの名前のみに記録が多く残っている
つまり彼女たちは人間ではなく、物資として扱われたと言うことである。この兵站記録の大半が
散逸しており、その全てを調べることは不可能であるが、残された記録に少なからずの名前がある事から
軍が制度として、この慰安婦利用していた事は否定できない。

また、慰安婦は日本人も多く含まれており、韓国人だけではないと言う反論をされる方々も少なからず
おられるが、昭和16年、太平洋戦争以降の慰安婦は7割近くが朝鮮半島出身者で占められており、
日本人の場合、志願した現役の娼婦に限られていた。中国人の数が少ないのは、軍の行動や機密が
外部に漏れる事を考慮して、慰安婦に使用しなかった事も、その計画書に記載がある。日本人慰安婦の
員数は、終戦間際には1割を下回っているくらいである。

朝鮮半島で募集された慰安婦の内、その大半が仕事内容を知らされていなかったと言う事実も
陸軍、軍医、中野中尉の日記や日誌にも現れており、この一説に「朝鮮人は、パイパンが多いと言う
実しやかな話が、軍人たちに聞かれるが、現実には日本人より薄いものの、パイパンは殆どおらず、
その慰安婦たちが、まだ生える前の少女であった事が、この噂を増徴させた原因である。」とさえ
述べている。

最初の検診の際に、男である軍医にその裸を見せる事を躊躇った者が多く見られたとも書かれており
玄人の娼婦ではないことを、表している。

更に彼の残した、写真には、軍が直接管理する慰安所の姿も残っており、軍が主導する形で、この制度を
作り上げたことは間違いのない事実である。これを否定する事は歴史に対する冒涜であると言える。

新自由主義史観の主張に陸軍、軍令部の要請として、内務省に対して、「陸軍の名を勝手に使用して
女衒の真似をし、況や拉致、誘拐して女性を集めている輩の取り締まり強化。」を指示しているから、
強制的な連行は、軍の意思ではなく、民間の女衒たちが勝手に行った事で、軍の関与はない。

小林よしのり氏や、桜井よしこ女史の主張にもこの一文が載せられているが、これも資料の拾い読みに
よる間違いで、この陸軍の要請以前に、この手の事件が多発していたかと言うと、その事実はない。
たった一件、徳島県警の取り締まり記録に、2名の女衒が陸軍の名を持ち出して女性を連れ去ったと言う
事件のみである、この2人の女衒は逮捕されたが、陸軍省発行による女衒の許可書を所持しており、後日釈放されている。この一件だけが事件として扱われたのであって、事件そのものは存在していないのである。

つまり事件も起こっていないのにも関わらず、陸軍は何ゆえ内務省に対して、この様な要請をしたのか?
容易に結論を導き出せる。陸軍が発給した証書を持って過激に立ち回るであろう、女衒に対して、やりすぎるなと言う陸軍の意思の表明であり、この事から逆に軍が組織的に慰安婦募集に関わっていた事を
証明するものと言えるのである。

資料の拾い読みである自由主義史観の主張は根本から間違った結論を引き出していると言えるのである。

国家として、この慰安婦問題に関わった事実を残す公文書は残されていない事が、彼らの主張を勢い付けさせているのだが、ポツダム宣言受諾以降、政府も軍隊も、資料の廃棄や焼却を命じている事実が
ある限り、公文書が見つからないを理由にこの問題を否定する事は、卑怯卑劣の謗りを免れないものと
感じる。

南京事件

 この問題も同様に、前線で戦った兵士たちは、その虐殺を認めている者が多く存在する。命令書の中にも、一部の集落を殲滅しろと言うものも残されており、基本的には南京事件はあったとするべきであり、
その被害数だけが、これからの調査によってある程度具体化すると言うことであろう。

ネット上でも南京事件はなかったと言う論調のものが多く見られるが、この主張に根拠がない。

つい先ごろ、NHKの特番で南京事件を扱ったものがあったが、この戦線で戦った兵士たちが虐殺を
認めている。経験者が認めたものを経験もしていない者が否定できるはずはない。この事を肝に命じる
べきであろう。

歴史認識

 わが国の場合、その歴史観が明治維新後、断絶した歴史観を国民が持っている事が、この問題を
複雑にしている。

そものそも、歴史と言うものは継続したものであり、この時点で断絶したと言う考え方は、歴史そのものを否定すると思われる。

戦前の行われた戦争責任を東京裁判にだけ頼って総括せずに60年以上を過ごした結果、戦前の出来事は
既に終わった事と、断絶して判断している。

しかし、現実には継続性の中で歴史は存在し、だからこそ、韓国は豊臣秀吉にいたる、日本の暴挙に対して今なお批判しており、逆に日本人は秀吉を罵倒されたからと言って、憤慨することはないのである。

つまり江戸時代以前の歴史は、歴史と言う物語と言う判断があるからで、その秀吉を罵倒されても
罵られても不快と思わないのである。しかし近代史に至っては、全く違う反応を示すのが日本人と言える。

同じ歴史の事実に対して、明治以降の事柄は、批判され罵倒されると憤り、逆に江戸期以前の出来事には
無頓着でいられる。この歴史観が、断絶した歴史観と言う。

拉致問題と旧陸軍の強制徴用や、朝鮮戦争に於ける敵対関係は、繋がっていないと論じるのも、同様に
歴史観の断絶を意味している。

屁理屈であるにしろ、継続した歴史観の中で、物事を考えるのは、必ずしも否定できない。つまり、
歴史の流れは、止めることも断絶することもあり得ないのである。そういう意味においては、日本人の
歴史観そのものが硬直しており、間違っていると言える。

拉致事件を是とするのではなく、相手の言い分は屁理屈であるとしても、その考え方そのものは、否定
できないと言うことである。

つまり継続した歴史観を日本人は持つべきであろう。そうすれば、近代史に於いても共通の認識を
作り上げられるものと思っている。

最後に、被害者にとって、その被害実数は問題ではなく、その事件が有無が問題であるのだと言う事を
被害者の立場になって考えるべき時である。

転載元転載元: 公平と言うこと

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